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2021.02.05

山に登るということ

今日お届けの有料メルマガの
わたしの記事でご紹介した
世界的な仏教哲学者・鈴木大拙。

 

字数の関係で入れられなかったエピソード
たくさんたくさんあるのだけれど
その中の一つをご紹介したいと思います。

 

登山に成功したら
「山と仲良しになった」と何故言わないのか。

 

征服するべき対象を探し求めるのは
自然にたいする東洋的態度ではない。

 

われわれは富士にも登るが、
その目的は富士を「征服する」のではなくて、
富士の美麗、壮大、孤高に打たれるにある。 
(『続 禅と東洋文化』鈴木大拙より)

 

これは大拙先生がアメリカに滞在時
ある西洋人の登山家がエヴェレスト登頂に成功したことを
「エヴェレストを征服した」と表現したことに対して
述べられたものなのだそうです。

 

 

 

遠くから富士山を見るときというのは
自分と富士山とを「分けて」見る
つまり分離させて見る瞬間なのでしょう。

 

そのとき
その圧倒的なまでの存在感に
人は神(エネルギー)を感じるのだと思います。

でもそのエネルギーに心打たれるのか
征服したい、勝ちたいと思うのか
この違いは決定的なものです。

 

そして、そのうえで山に登る。

 

前者はそのエネルギーの内に入り
統合された中でそのエネルギーを感得する。

後者は異物としてエネルギーの外であり続け
目の前に見えている一部分しか感じ取れない。

 

それでね。

 

まだ公開していない
たぶんここ2~3回のあいだに掲載予定の
森井啓二先生による
『真訳ヴァガバッド・ギーター』に

 

「ヴァガバッド・ギーターという山」

という表現が出てくるんですね。

 

で、その表現に触れた瞬間に分かったのです。

 

そうか

 

すばらしい本というのは
壮麗な山のようなものなんだ。

 

そして、ちょっと自分でも驚いたのだけれど
自分の内側から
じわーっと湧き上がるものがあって
知らずに涙が流れていました。

 

本の中の言葉というものは
あるいは小さな一節というものは
ひとつのものごとの小さな小さな一部分しか
捉えることのできないものなのだけれど

 

それが富士山やギーターのような
大きなエネルギー体を構成する
必要不可欠な一部分であるということを知り

 

そして、そのエネルギーの中に
自分の意識を置くことによって
はじめて深い理解を伴う智慧となり

 

その結果として
そこに書かれていることが
大いなるエネルギーの発動となり
やがて世界を創っていくのです。

 

ああ、そんな本を創りたい。

 

心の底からそう願う自分がいて

 

そして、そんな本を創るためには
著者先生方はもちろんのこと

 

そのように読んでくださる
読者が必要であることも間違いがなく

 

それらがしっかりと重なり合う
そんな可能性に満ちた
いまという時代を生きられている幸せを
強く感じずにはいられないのでした。

 

今日もお読みくださり
心よりありがとうございます♪

 

愛と感謝をこめて。
きれい・ねっと 山内 尚子 拝

【この星の未来の創り方003】