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2022.12.24

【国を失う哀しみ、マサダ 前編 】#023

今日から何回かにわたって
イスラエル滅亡の経緯を
赤塚高仁さんによる
『ユダヤに学ぶ変容の法則』から引用し、
少しだけ補足を入れつつ
お伝えしていきたいと思います。
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わたしたちの旅でも訪れる
世界文化遺産のひとつ
ユダヤ民族の聖地「マサダ」の物語です。
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(引用ここから)
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「マサダ」とは、
ヘブライ語で「砦・とりで」という意味です。
死海のほとりにあるマサダは、
高さ400メートルの
頂上を平らに切り取ったような、
自然によって創られた要塞です。
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マサダは、
イエス・キリストが地上で活動していたころ、
イスラエルを統治していた
ヘロデ王の冬の宮殿があったことでも
知られています。
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建築の名手でもあったヘロデ王は、
マサダにいくつもの貯水槽を作り、
漆喰で塗り固めて水が漏れないようにして
周囲の山々に降った水を集め、
貯水しました。
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年間降水量80ミリほどの荒野で、
10年分の水を蓄え、
農耕、牧畜をすることによって
完全なる自給自足ができたのです。
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おそらくヘロデ王は、
首都エルサレムで反乱が起きるなどして
危険が迫ったときに逃げ込むつもりで、
マサダをつくったのでしょう。
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西暦73年、イスラエルはこのマサダでの
ローマ軍との最後の戦いに敗れて崩壊し、
ユダヤ民族は国を持たぬ流浪の民として
世界に散らされることになります。
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少し時を遡って
西暦70年、
ローマ軍によってエルサレムは陥落。
ユダヤ民族の魂の支えともいえる
神殿も崩壊しました。
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多くのユダヤ人が命を奪われました。
生きて捕えられた人々は、
奴隷として連れてゆかれました。
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その数はあまりにも多く、
奴隷市場の価格が暴落して
「ユダヤ人一人は羊一匹より安くなった」
という記録が残っているほどです。
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エルサレムが陥落した後、
それでも最後の最後まで
徹底的に抗戦すると覚悟を決めた
熱心党の人々が南に逃げ延び、
マサダに立てこもりました。
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その数967名。
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やがて、ユダヤ人の残党と
最後の一戦を交えるべく、
ローマ軍が迫ってきました。
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ローマ軍はマサダの麓に駐屯し、
いくつもの陣地を作ってゆきます。
8つの駐屯地にやってきた
ローマ軍の兵士の数は、およそ1万。
ローマ軍は、
駐屯地と駐屯地の間に石の壁を作り、
ユダヤの反乱軍が
一人たりとも逃げられないようにしました。
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一方、400メートル上の
平らな山頂に立てこもるユダヤ人たちには、
ローマ軍の動きが手
に取るように見えていました。
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難攻不落の自然の要塞から、
石の砲弾を投げたり
煮えたぎる湯をかけたりと、
抵抗を続ける反乱軍を
ローマ軍は攻めあぐねます。
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しかし、ある時状況が一変します。
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3年もの間激しい抵抗を続けてきた
ユダヤ反乱軍が、
ある日を境に攻撃を中止してしまったのです。
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(引用ここまで)
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ユダヤ人たちは
一体どうして
攻撃を中止してしまったのでしょうか。
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明日は
そのあまりにも悲しい顛末について
お伝えしたいと思います。
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今日もお読みくださって
心よりありがとうございます。
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これを読んでくださるあなたが
ただの観光とはまったく違う
遥かなるイスラエルの旅を
ご一緒くださいますように
魂の底から祈っています。
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追伸
旅をご一緒くださるあなたには
事前に赤塚高仁の集大成となる2冊
『ユダヤに学ぶ変容の法則』
『あなたに知らせたい 日本という希望』を
プレゼントさせていただきます!
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本日の写真は
天空の要塞、マサダ
すごく広くて驚きます。
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2023年6月10~19日
赤塚高仁・山内尚子と行く
魂の約束を思い出すイスラエルの旅
詳細・お申し込みページはこちら
https://israel2023.kilei.net/
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